高知県の葬儀は東部葬祭−法要のQ&Aページ

高知の葬儀は東部葬祭 TOP
高知の葬儀は東部葬祭 TOP 会社概要 葬儀について 葬儀の流れ 葬式費用について  
弔問のマナー 法要のQ&A 葬儀のQ&A 皆様の声 お問合わせ
アバ会員のご案内 高知の斎場 葬祭会館アバホール
 
法要に関するご質問

合掌の理由は

由来はインドで、インド人は右手を清浄、左手を不浄として使いわけるため、両手を合わせることで人間の中にある浄、不浄を止場する真実の心が現れると信じた訳です。ですから、インド人は他人に挨拶するとき両手を合わせて「ナマステ」と云います。「今日は」も「さようなら」も意味しており、自分の誠心を相手に伝えます。ちなみに奈良薬師寺の高田好胤(こういん)管長は「幸せになりたいのなら、両手を合わせなさい、両手のしわとが出会ってこそ幸せになる」と説かれるとか。

末期の水をとらせる理由は

お釈迦さまが臨終に水を欲しがったことによるとも、又、あの世への旅立って行く者に最期の別れの水盃をとらせる為ともいわれます。

なぜ北枕に

仏教では、遺体を安置するとき、釈尊入滅の際の姿勢にならない、頭を北にして寝かせます。このことを頭北面西(ずほんめんせい)右脇臥といって、実は西枕でもよいのです。これは“西方浄土”に向くという意味もあるからです。

喪主とは

通常は通夜から葬儀、四十九日迄の行事や法事をつかさどる施主のことをいいます。法律上の相続人がなるのが普通ですが、夫や妻が 死亡している場合は、その配偶者がなりますが、配偶者が死亡している場合は、その子供が喪主になります。喪主は故人に代わって弔問 を受けますので非常に重要な立場にあります。

六文銭の意味は・・・

三途の川の渡し賃は、渡し役が六地蔵いて、それぞれに一文ずつ、合計六文の渡し賃をもたせるといいます。現在では死装束の頭陀袋に印刷した六文銭をいれています。

念珠(数珠)の意味は・・・

お仏壇にお参りするとき、法事・葬式には欠かせません。本来は数をかぞえる為や雑念を払い精神集中の手法として用いられた様です。それが、「南無阿弥陀佛」等お経の回数を数える道具として発展しました。念珠を持ち、合掌することが佛教徒としてのあかしとして混迷を深める現代に私達により身近な宗教用具として見なおされている様です。念珠の珠の数は、玉一個ずつが百八煩悩を司どる仏さまであり、人間のあらゆる煩悩を断じて念珠が引き受けてくださるという意味から108個というのが基本です。それでは大きすぎますので半分の54個とか27個、18個のものが作られています。

香典について

本来は各人が香を持参し香炉にくらべて礼拝していたが、いつの頃から香を拝借した場合の代金を包んだのが香典の始まりとも言われています。今日では故人に対して供物を捧げる意味と葬礼を共同体の事業と考え、喪家の金銭的負担を軽くする意味合いがあります。

密葬とは

普通の場合は死亡−通夜−葬儀と間をおかず進めますが関係者にまんべんなく通知する為、葬儀迄に日数がいる時、喪主又は主だった遺族が遠隔地や、海外にいる時、正月や大型連休 をさける時、等々葬儀をかなりずらして執行する場合に前もって内々にて出棺し、お骨にしておきます。

弔電の文例

何かの都合ですぐに弔問に行けないとき又は会葬にも失礼をせざる得ないときはとりあえず電話でお悔やみを申し上げ弔電を打ちます。
  • 「謹ンデ哀悼ノ意ヲ表シマス」
  • 「御逝去ヲイタミ謹ンデオ悔ミ申シアゲマス」
  • 「御逝去ヲイタミ御冥福ヲオ祈リ申シアゲマス」
  • 「御母堂様(御尊父様)ノ御逝去ノ報ニ接シ心カラオ悔ミ申シアゲマス」
  • 「有リシ日ノ御姿ヲシノビ、ハルカニ御冥福ヲオ祈リシマス」

お経をあげるときは

お経とはお釈迦様の説教を記録・編集したもので、われわれ凡夫を“悟り”の境地に導く教えのことです。そのお経を僧侶にあげてもらうことによって、故人が生前に到達しえなかった悟りの境地にあの世で達してもらおうと願うわけです。その願いが、ひいては自分達に返って来るというわけです。

般若心経とは

仏教には五千数百巻といわれるお経がありますが、中でも、最も多くの宗派によって用いられているのが、“般若心経”です。般若心経は数ある経典のうちで最も短いものの一つですが反面、最も根本的でわかりやすい経典です。正式には<仏説摩詞般若波羅密多心経>という題名で意味は“仏が説いた、偉大な智慧の実践行についての根本的な教え”ということです。<般若波羅密多>とは智慧の力によって迷いの世界から、心の安定を獲得するという実践行のことです。

引導とは

葬儀の時、僧侶が「死者に引導を渡す」といいますが、これは迷えるものを仏に道に引き入れ導くという意味のことです。なお浄土真宗では、信者はすでに阿弥陀仏によって救われていると信じられるので、引導を渡してもらう必要はないのです。そのかわりに「十四行偈」などを唱えます。おかみそりの儀などがあります。

四華花(紙華花)

四華は白紙を細長に切り、棒に巻きつけ、四本の棒を台の四隅に差し込み、中に野位牌を入れて出棺時に火葬場に持って行き一緒に火葬しますします。これを飾るのは 釈尊入滅涅槃(ねはん)の時、変白した四本の沙羅樹花を、形どったものを模したことによるものです。

位牌

日本人の信仰では、霊は人々の生活の場に常在するものではなく祭る時に招きよせるものであり、その時、霊は媒介物を介して示現すると考えられてきました。その媒体となるのが「依り代」と呼ばれるもので、榊、位牌、卒塔婆、石塔、慰霊柱などにあたります。

なぜ三途の川というのか

三途の川とは、あの世とこの世の間に流れているとされる川のことで、死んだ人間はみな、この川を歩いて渡らなければなりません。“三途”とは三つの道という事で、善、小悪人によって、それぞれの川の幅や、深い川、浅い川と違う所を渡らなければならないという至難の道中でもあるわけです。

戒名・法名について

仏門にはいった者につける名前のことです。仏門に帰依したという意味と共に、仏のさとりに入ったという意味も含まれています。信仰のあつい人は生前に仏弟子となって、宗派の本山から与えられますが、一般的には葬儀の際に僧侶から与えられます。戒名も、日蓮宗では「法号」といい、真宗では「法名」といいます。真宗の法名は男性の場合は「釈○○」と二文字で書かれ、女性は「釈尼○○」となります。「釈」の字は、仏教の開祖である釈迦牟尼世尊(釈尊)の釈の字で釈尊の一族に加えられたという意味です。女性の場合の「尼」は、女性を表す言葉で、釈尊の一族の女性を表しています。

戒名の中の居士とは

男性の戒名の末尾によく使われる居士とは、本来、中国で官界に入らず家に在って修行する人たちをさす言葉でしたが、次第に出家しない仏教の篤信者を称ずる様になった。なお女性の戒名でよく使われる“大姉”とはもともと尼僧のことです。

友引はなぜ避ける

“友引”の日は「友を引く」といって葬儀を避ける風習があります。宗教的には全く何の根拠もない俗言です。もともと“友引”とは“友を退く”つまり勝負しないという意味です。

布施とは

“広く人にほどこす”という意味です。物やお金の財施と知識や教えの法施、そして真心を施す無毘施などがあります。仏言に「貧しく施す物を持たぬときは、他の施す姿をみて喜ぶがよい、共に喜び功徳は布施と同一である」とあり、何も読経へのお礼金ばかりが布施ではありません。

往生とは

一つの生涯を終えた後に新しい生涯を始めることをいい、特にこの世よりもすぐれた極楽浄土に往き生まれかわることをさします。現在 では、単に、死ぬことを往生するともいいます。

閻魔さんの正体は

“えんまさん”といえば、あの地獄を代表するこわい裁判官のことですが、その正体は実は「地蔵菩薩」です。本来の温和な顔立ちで裁いたのでは死者が反省しないものですから、伝えられるような形相をして罪を問うわけです。なお、“えんまさん”は人類最初の死者として、はじめて死の世界へ行ったといわれています。

喪服はなぜ黒

喪服はもともと平安時代まで“素”という薄ねずみ色、もしくは白でしたがその後、死者を悼み、悲しむということで、華美な服装はせず、黒または、その同系色のものを着用するようになりました。ちなみに欧米でも、喪服はほとんど黒ですが、これは死に対する弔意ではなく悪霊に対する恐れを表すといいます。

喪章はどんな時に

もともと喪章とは喪に服している者の“しるし”なので、喪家の者だけが付けていました。しかし、今では弔問する者もつけます。ただし、ふつうの平服の場合に限り弔意を添える意味でつけます。

正月の死亡について

人が死ぬのに祝日も平日もありません。12月の終りや1月の初めに死亡する場合もあります。こんなときは、近親者だけで密葬します。(元旦は火葬場が例年休みです)そして松の内がすんだころ見図かって本葬をし多くの人に弔ってもらうようにします。

クギ打ちの時、なぜ石で・・・

石は賽の河原を暗示し、三途の川へのたむけを意味するからです。最近では、喪主のみ小石で打ぞめし後は小石と金鎚で順次身内で打っ ていただきます。このクギ打ちは行わない地方もあります。

縁起の意味は

「縁起が良い」「縁起が悪い」と一般的には「巡り合わせが良い、悪い」といった意味に理解されています。しかし、仏教用語として“縁起”とは因縁によってその影響が起こるという意味で、すなわち「いかなるものも他に依存して生ずる、あるいは存在する」ということです。従って、我々は自分だけのことを考えて生きていたのでは、いつか自分自身や子孫にその報いが生ずる為、周囲の人のことを考えながら行かねば・・・・といった戒めにもなる言葉です。

茶碗を割るのはどうして

昔、“死”は悪霊がのりうつることによって起こると考えられていたので、故人が愛用した茶碗を割らないと悪霊が舞い戻ると信じられたからです。(浄土真宗ではこの様なことはいたしません)

骨上げはなぜ二人一組で・・・

骨上げは二人一組になって、木と竹の箸で行いますが、それは亡くなった人を此岸(あの世)への箸(橋)渡しをするという意味があります。

なぜ、のど仏を重視・・・

のど仏の形が、仏の鎮座している姿に似ていることから仏が宿りし所として重視します。

清め塩

葬儀または、骨上げから帰ってきた人は、家の中に入る前に体に塩をふりかけて清める習慣があります。ただし、死を“けがれ”と見なさない仏教的立場からはこの清め塩は特に意味はありません。

七日目ごとに法要する理由は

あの世では、故人の生前の罪に関し、七日目ごとに計七回の裁判が行われるとされ、遺族などが法要することによって、その罪が軽減されるのだといいます。

忌明けとは

仏教では35日、49日の法要、神道では30日祭、50日祭をもって忌明けをしています。宗派によっては、この間を中有又は中陰と 呼び、忌明けを満中陰と呼んでいます。中陰のあいだは死者の霊魂は、この世にとどまり、満中陰を迎えて死後の行き場所が決まり、冥土へたどり着くと言われています。

宗派によって違う霊前(仏前)の言葉は



  • 浄土真宗、浄土宗・・・南無阿弥陀仏
  • 日蓮宗・日蓮正宗・・・南無妙法蓮華経
  • 真言宗・・・・・・・・南無大師遍照金剛
  • 禅宗・・・・・・・・・南無釈迦牟尼仏

お盆に故人の霊を供養するとは

大昔、自分の死んだ母親が餓飢道に落ちて苦しんでいるのを知ったお釈迦様の弟子目連さんが、なんとか救済しようとお釈迦様に尋ねたところ、「7月15日は坊さんが百日の修業を終えて伝道に出る日だから、お坊さん達にお供養しなさい」といわれたのです。、目連さんのお母さんは、その供養の功徳によって救われました。インドの言葉のウランバーナーを、中国では盂蘭盆と書き、その省略が“盆”の一字なのです。盆とは<さかさ吊りされるような苦しみからの救い>の意味で、餓飢道の苦しみに堕ちないよう、先祖の霊にお供養するという目連さんの故事に由来しております。(西日本地区では1ヶ月遅れの8月13日〜15日(旧盆)に行われます)

蝋燭や線香をともし花を供える理由は

蝋燭の光は日の光と同じ様に悪魔を追い払い、すべての人の心の闇を照らし出します。又、物を浄化する力があるとされており“浄火をもやす”“光明にあやかる”という意味から電気灯で間にあわせるのはどうかと思います。お花は仏さまのいのちを象徴するものです。すなわち、仏教では人をはじめ、鳥や虫、動物、それに花や草木もすべて人間のこしらえたのもではありません。皆んな生かされているのだから、お花を通して仏の慈悲をもたらしいのちの尊さ、大切さを味わい、感謝することだと云っているのです。線香はお釈迦さまが、亡僧のために稱壇の香木を身に当て偈(仏徳をたたえた詩)を説いたことにより使われているといいます。その香りはあたりを清らかにし、だれをも差別することなく、愚偏なく、仏さまの尊いお心の象徴です。なお真宗では線香を立てず香炉の大きさに合うように祈り灰の上に寝かせてくべます。

高知で斎場をお探しの方はアバホールをお勧めします(詳細はこちら)>>


高知県の葬儀は東部葬祭 TOP会社概要お問合わせ| アバ会員のご案内高知の斎場 葬祭会館アバホール
葬儀について葬儀の流れ葬式費用について弔問のマナー法要のQ&A葬儀のQ&A皆様の声

  Copyright (C) 2006 (有)東部葬祭 All right reserved. 信頼とまごころの 東部葬祭